胡蝶蘭が特別に愛される理由と歴史

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胡蝶蘭が日本で流行ったワケ

胡蝶蘭が日本に持ち込まれた時期

ファレノプシスは、東南アジアが原産の蘭の一種です。
暑い気候の中で成長する植物のため、イギリスやヨーロッパでも、寒い地域では繁殖にかなり苦労していました。
そのため稀少価値が高く、高級な花というイメージの代名詞とされていたのです。
そんなファレノプシスは明治時代に日本に持ち込まれます。
当時、栽培を行っていたイギリスが船で日本へ持ち込んだのがきっかけでした。
なかなか出回らない希少価値の高い王族クラスしか拝めない一級品とでも言われたのでしょう。
日本の上流階級はこの花を欲します。
とはいえ、栽培を行っているイギリスでもなかなか苦労している特別な花です。
しかも当時の物流技術を考慮すると、稀少価値の高い花をしおれさせずに日本に持ち込むのは至難の業。
そこで日本でも栽培できないかと考え、明治後期頃から日本国内での栽培が始まるのです。

日本国内での歴史

ファレノプシスは、熱帯な気候を好む植物です。
日本にファレノプシスが入ったばかりの頃、当時の日本はかなり寒く、また栽培技術も浸透していません。
しかも、育てるにしても花農家の中にファレノプシスの特徴をよく知っている人もいませんでした。
明治後期は、それまでの日本からの脱却が進んでいました。
多くの技術が改革され、新たな技術が生み出されている頃です。
これは植物の栽培でも同様でした。
当時は少なかった温室の設備やその技術も研究が進められたのです。
栽培環境が整うようになると、次第に花農家の中にも胡蝶蘭を進んで栽培する農家が増えるようになりました。
ちなみに日本では、その見た目の印象から、花の形は蝶が舞うように見える蘭だったため、ファレノプシスは胡蝶蘭と名付けられたのです。
栽培環境が整い、栽培農家が増えれば、その分品種改良も進みます。
こうして胡蝶蘭は日本国内でも様々な色の花を育てられるようになったのです。


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